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2012年01月28日(土)11:18屋上緊急避難所が出来ました 2011年3月11日(金)14時46分に勃発した、未曾有の東日本大震災は生々しく、メディアを通して頭に焼き付いております。その時以来、当宮崎でも想定外の地震津波が起きた時のことを考えると、海岸に近く、周囲に高台もビルもなく、当保育所の避難場所のないことに気付きました。 ここは海抜4メートル、建物の高さは約8メートルで合計12メートル。せめて屋上に避難するしかないと思い、設計士に相談し、完成の日をむかえることが出来ました。 2011年12月22日に、日向灘地震、震度5強以上による津波警報を予想して訓練をしました。小さい子どもたちから順に職員たちが背中におんぶしたり、抱いたり、手を引いたり、又青組(2歳児)は自分たちの足で階段をのぼりました。職員は慌てふためきましたが、子どもたちは何のそのさっさと上りました。着くやいなや、広場を全身で駆け回っていました。うれしそうな顔、顔。その日はあまり強い風も吹かずに、格好な遊び場となり、リズム遊びの歌を先生が歌えば、子どもたちは自然に身体を動かしていました。 そのような避難訓練のひとこまでもありました。 しかし、実際に見舞われた時のことを考えると、3歳未満の子どもたちとあっては、職員たちの訓練が大切だとつくづく思ったことでした。 2012年1月/猪俣美智子 記
懐かしい連絡帳 平成23年12月24日
とある休日、家の押し入れの片づけをしている時に、一冊の古い連絡帳を見つけました。※注1懐かしさのあまり、片付けの手を休めて、しばし読み返している内に、何故だか涙が出てきました。当時は何気なく、日々の出来事や、面白いエピソード等を夜中、子どもが眠った後に書いていたような気がします。そして、子どもを迎えに行った後、すぐにこの連絡帳を取り出して見るのが楽しみでした。自分の知らない保育園での子どもの様子を知ることが出来るからです。 今、私は保育士としての立場から連絡帳を毎日書かせていただいておりますが、保護者の方々もかつての私と同じような思いで書かれたり、読まれたりされているのか、と考えます。 息子が小さい時に、私の母に言われたことがあります。「気付いていないかもしれないけど、あなたをジーっと見ているよ。そして真似しているよ。」と。保護者からの連絡帳の中にも、「ぬいぐるみをトントンと寝かせていました。」「絵本の読み聞かせの真似をしていました。」さらに、「保育園ごっこをしていて、武田先生をしていました。」と書かれていたことがありました。確かに子どもにとっては、長時間身近にいる大人が、必然的に見本となるわけですよね。言葉使い動作等、時々自分を真似していると気付くことがあり、ハッとさせられます。 私の古い連絡帳の中にもありました。「お母さんが小さくなったら、まーくんが自転車の後ろに抱っこして乗せてあげるからね。朝は、おはようって起こしてあげるからね。おしっこもうんこもさせてあげて、お風呂も入れてあげて、ゴローンしたらトントンしてあげるね……。」本当に良く見ていますね。 そんな息子も、もう16歳になりました。彼がもう少し大人になったら、この連絡帳を見せてあげたいと思います。
注1 息子が通っていた保育所と親との連絡帳です。 2011年12月 保育士 武田正子 記
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