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2013年09月07日(土)12:23一本の赤いバラの花 この夏届いた暑中見舞いのはがきの中に、曽師保育所の卒園児である芳信くん(仮名、32歳)の写真が届いた。外国人ふたり、日本人ふたりの成人した四人の仲間がスーツ姿で肩を組みあっている姿。そのなかに小柄の彼がにっこり笑っている。今でも、教会の交友仲間とのこと。 思えば、産休明け2ヶ月から2年余りを当所で過ごした間の様子が昨日のように蘇る。 5ヶ月にして脱腸の手術を2回したこと。 8ヶ月になっても離乳食の飲みこみがうまくいかずに、先生たちが苦労したこと。 母親一人でクリーニング店に勤務しながらの子育て。時給いくら。当時は土曜の保育時間は12時半まで。母親の仕事が終わるのを待って、5時半まで延長保育をしたこと。 ある日、その当時所長だった私が、夕方7時頃仕事を終えて戸締まりの点検をし、雨の降る玄関におりたったところ、芳信くんを抱いて雨を避けて立っている姿を見つけ、彼女の家まで送って行ったことがあった。おんぶひもも、傘もない生活。 そこで私は家庭訪問を申し込んで訪れた。アパートの1階。土間につづいて、畳み一間。真ん中に丸いテーブルひとつ。テーブルの上に、コップにさした一本の赤いバラの花。芳信くんはかたわらですやすや眠っている。私は、 「きれいなバラね。どうしたの、これ?」と尋ねる。 「先生が来てくれるから、買ってきたのですよ。」と、満面の笑みを彼女はたたえていた。 「そう、きれいね。ほんとにきれい…」。みずみずしく真っ赤なバラは生き生きしている。正直なところ、この花を買うお金があるのだったら、何か生活に必要なものの足しにでもすればいいのにと、ちらっと思ったのを隠さない。 芳信くんが20代になって、教会で働き、その仕事でアメリカへ行っているとのハガキをもらったこともある。 そして、今、手元にある母親からの暑中見舞いのハガキには「芳信が私といっしょに暮らし、新しい仕事に行ってくれて、本当に幸せです」の意味のことが書き添えてある。 芳信くん親子のことを思うにつけ、あの一本の赤いバラの花は、私の心のなかに美しく顔をのぞかせる。 2013年8月 猪俣美智子
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